3105のタマシイゴト。

発したい、魂の言葉を。

父との電話。

久しぶりに父からLINEが来た。

 

他愛もない近況報告。

 

だけどそれがなんだか嬉しくて、久しぶりに電話をかけた。

 

 

いつからだっただろうか。

 

おそらく思春期の頃。

 

父のことがとても嫌いになった。

 

仕事が終わると家に帰ってテレビを見ながらお酒を飲む父。

 

積極的に子供とコミュニケーションを取ろうとするような父ではなかった。

 

父とは真面目な話をした覚えがない。

 

父と母が話し合いをしようとすると必ず喧嘩になった。

 

母の意見を聞き入れようとしない父。

 

自分に都合が悪くなると、大きな声で怒鳴るか、黙り込んで何も言わなくなるのどちらか。

 

そんな父が大嫌いだった。

 

そのうち母は父と会話することがなくなっていった。

 

弟たちも父に寄り付かなくなっていった。

 

気づけば我が家は一つ屋根の下に住んでいるだけの仮面家族となっていた。

 

そして5年ほど前、父と母は離婚した。

 

いわゆる熟年離婚というやつだ。

 

当時未成年だった弟たちは全員母が引き取り、父は独り身となった。

 

今もなお団地で一人暮らしをしている。

 

年金を受給できる歳ではあるが、それだけでは生活できないため

介護の仕事をしているそうだ。

 

父と話をしているととても胸が痛む。

 

何十年と家族のために働いてきて、ある日突然突然三行半を突きつけられ、

定年すぎた老体でも生きるために働き続けなければならない状況。

 

私に借金がなければ、ほんのお小遣い程度でも仕送りができるのに、などと思う。

 

自分のあまりの不甲斐なさが悔しい。

 

お金の問題はさておき、最近の父との会話は少しだけ変わってきた。

 

今までは近況報告程度の話しかしなかったけれど、

最近はお互いの心境も話すようになってきた。

 

母がペースメーカーを入れたと聞いてショックだったこと。

こんなことなら離婚を受け入れるべきではなかったのではないかと思ったこと。

 

離婚後、近所で会っても挨拶すら無視してしまったこと。

叔母の葬式の時に、一言もしゃべらなかったこと。

これらは全て、母に対して意地になっていて、ある意味甘えであったこと。

 

そんなことを話してくれて、驚きとともに嬉しかった。

 

今までそんなことを自分から話すような人ではなかったから。

 

私は父に「本物の家族になりたい」と伝えた。

 

両親の復縁は望んでいない。

むしろそれで良かったと思っている。

仲違いをしている弟たちもいる。

けれど、それも許しあって、お互いを認め合って

いつかまた笑って食卓を囲みたい、と伝えた。

 

父との電話を終えたあと、私は声を上げて泣いた。

 

父のことが好き・嫌いとかそんなことよりも

 

私は家族そのものを愛していたんだなということに気づいたから。

 

そして、愛するものを守る努力をしていなかったことに気づいたから。

 

私がかつて愛していた家族の姿はもうなくなってしまった。

 

失ってしまったもの・時間はもう取り戻せない。

 

愛とは、守るもの。

 

守らなかった代償はあまりにも重い。